はじめに
以前とある介護関連情報サイトのコメント欄を閲覧していたとき、意識が低い介護士を罵倒する「意識高杉くん」系介護士をみかけました。
内容はうろおぼえですが、以下のような感じだったと記憶しています。
意識低い系介護士「私は別に高齢者のこと好きではありませんし、介護職であることに誇りなどありません。でも、給料もらえるんで介護やってます。こんな気持ちで介護やっていいのでしょうか」
意識高杉くん系介護士「いますぐ介護士を辞めてください。あなたのような方が介護をやっていると介護士のイメージが悪くなります…(以下はさらにきつい表現なので省略)」
私もどちらかというと意識低い系介護士なので、この意識低すぎ系介護士のコメントはなんとなくですが同感できるんですよね。
他方で、意識高杉くん系介護士のコメントにはある疑問が浮かびました。それは「介護士は『意識高杉くん』でなければならないのか」です。
私は「んなことぁないだろう」と思うんです。というわけで以下でその理由を説明します。
別に意識高杉くんでなくてもよい理由
意識と仕事のでき具合いの間に因果関係あんの?
まず第一に、意識と仕事のでき具合に因果関係があるようには思えないからです。
これはn=1の個人的な経験なので普遍性は保証できませんけど、私が働いている職場では「意識高い」介護士っておおよそ仕事が遅いし、できてないんですよね。
なんで「意識と仕事のでき具合に因果ってないんじゃね?」と思ってしまうわけです。ひょっとすると相関関係はあるかもしれませんけどね。
職業選択の自由が保障されているんですけど
第二に、職業選択の自由が保障されているからです。
私は憲法をそんなに真剣に勉強したことないので的外れな見解を述べるかもしれませんが、国民って職業選択の自由が保障されていますよね。
んでそれに則って介護士を職業として選択したのに、それを真っ向から否定するのは、権利を侵害しちゃってるのでは?、と思ってしまうのですよね。
むしろ意識低い系のほうが仕事早いのでは?
最後に、実は意識低い系の介護士の方が、意識高杉くん系介護士に比べて、仕事早いんじゃないだろうかと思うからです。
意識低い系介護士の多くは「早く帰りてえ…」と心の中でつぶやくのではないでしょうか。逆に言えば、仕事を早く終わらせる工夫をしはじめるわけです。とにかく残業なんかせず早く帰りたいんで。笑
他方で、意識高杉くん系介護士は「介護好き!お年寄り好き!介護している私が好き!」というわけのわからない意気込みなので、「家に帰らずとも、私は介護に命をかけるの!」と思ってしまうわけです。
なので、仕事を終わらせようという気概が生まれないわけです。
再度私の事業所の話になってしまい恐縮ですが、やはり意識高杉くん系介護士はいつまでも仕事をやって帰ろうとしません。
おわりに
今回は「介護士は『意識高杉くん』でなければならないのか」という問いに対して「んなことぁないだろう」と思う理由を説明しました。
その理由は、
・意識と仕事のでき具合いの間に因果関係あんの?
・職選択の自由が保障されているんですけど
・むしろ意識低い系のほうが仕事早いのでは?
といったものでした。
ひょっとするとこんな「意識高杉くん」系介護士が介護士増加のボトルネックの一因になっているのかもしれませんね。笑
今回はこんな感じで終わりにします。
もしよろしければ、ご参考になさってください。
おススメの本
介護といったらこれですよね。