介護職同士の「コミュニケーション」はたしかに大事だ。しかし、それは「おしゃべりをする」ことではない、という話

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いらすとや

 

はじめに

 

おはようございます。nombre imaginaireです。

 

「介護職はコミュニケーションが大事だ!」などとよく喧伝されています。

 

たしかに介護職は、交代をしながらも、利用者に24時間対応しなければならないので、情報の伝達という意味でのコミュニケーションは非常に重要です。

 

しかし実際のところ、現場で行われている「コミュニケーション」は「おしゃべり」に堕していることも多々あります。単に上司の愚痴を言うだけで、仕事の話はほとんどしないみたいな。

 

というわけで今回はなぜ介護現場でのコミュニケーションが「おしゃべり」に堕してしまうことがあるのかを考えてみたいと思います。

 

介護現場で「コミュニケーション=おしゃべり」となってしまうのはなぜか?

 

ストレスが溜まりすぎている

 

まず考えられるのが、介護職員のストレスが蓄積されすぎて「おしゃべり」をせずにはいられないといったものです。

 

皆さんご存知の通り、介護職をはじめ一般的にサービス業といわれる業種はストレスが溜まりやすいです。変なやつにもお客様として対応しなければならない場面があるわけですから。

 

んなわけで、情報の伝達よりもまずは愚痴を言ってストレス発散しようと考えてしまうのかもしれませんね。

 

「コミュニケーション=おしゃべり」だと勘違いをしている

 

次に考えられるのが、「コミュニケーションっておしゃべりのことでしょ」という勘違いです。

 

私はコミュニケーションの専門家ではないので正確かどうかは保証できませんけど、コミュニケーションの主目的って意思を伝達することなのではないかなあと思うわけです。つまり、「おしゃべり」はあくまで意思を伝達するための一手段なのであって、それが目的というわけではないないと思うのです。

 

まあただ、日ごろから「おしゃべり」するような関係を構築していないと、正確に意思伝達することが困難かもしれないですけどね。

 

コミュ障?

 

そして最後に、実は「おしゃべり」をしてしまうのは「コミュ症」だからではないか、と言う憶測です。

 

「いや、コミュ症ならおしゃべりできないだろ。アホか」と思われるかもしれません。

 

しかし、よくお考えください。先ほど書いたコミュニケーションの定義に沿えば、単なる「おしゃべり」は意思の伝達というよりも単なる吐露になってしまっているではないですか!

 

ということはコミュニケーションが正確にとれているとは言えないのではないでしょうか。つまり、コミュニケーションに何らかの難をかかえている「コミュ症」と換言できそうです、

 

おわりに

 

今回は介護現場では「コミュニケーション」が「おしゃべり」に堕落してしまっている要因を考えました。

 

要因を、

 

ストレスが溜まりすぎている

「コミュニケーション=おしゃべり」だと勘違いをしている

コミュ障?

 

の3つで説明しました。

 

別の記事でどうやったら本当の意味でのコミュニケーションを介護現場でとれるようになるのかを考えたいと思います。

 

今回はこんな感じです。

 

もしよろしければ、ご参考になさってください。</p

 

 

 

 

 

 

おススメの本

介護といったこのマンガですよね!