利用者の「やりたいこと」を尊重するとティッシュを取るためにコール鳴らされますよ、と言う話

はじめに

 

 介護業界では、利用者の「やりたいこと」を最優先させるべきという謎の風潮があります。もちろん、利用者をクライアントととらえてその利益を最大化するのはある意味で当たり前ではあると思います。

 

 しかし、介護業界では「利用者の利益最大化=利用者がしたいようにする」といった意味で把握されているように思えます。今回は利用者の「やりたいこと」を尊重した結果、介護職員が召使のように扱われている一つの事例を紹介します。

 

ティッシュとって」

 

 それは私が夜勤で就寝前のケアをしている最中に起きました。ケアをしていると、ある利用者からコールがありました。その利用者は職員の間で「コール魔」と呼ばれていました。

 

 嫌な予感がしたものの、他の職員がコールに対応しなかったため、私が対応することに。

 

 「どうされました。〇〇さん」「いや、おしまちがえちゃったぁ~」「ああ、そうですか。じゃあ、何かあったらまた連絡ください」「は~い」。「ブチっ」。

 

 こんなのは日常茶飯事です。その後、私は淡々と他の利用者に就寝前のケアをしていました。そしたらそのコールの10分後くらいに再度、その利用者からコールが。「また、〇〇さんか…」。やはり、他の職員はコール対応をしません。なので、仕方なく私が対応しました。

 

 「どうされました、〇〇さん」「ごめん。押し間違えちゃった~」「そうですか。何かあったらまた連絡してくださいね(声は優しくしているものの、内心少しイライラしている)」。ブチっ。

 

 「またか…。今日は何回続くのだろうな…」とため息をつきながら思っていると、またその利用者からコールが。いやな予感。

 

 「○○さん、どうしました?」「あのさ~ちょっと来て」「は?」「だから来て」「はい。了解しました。今、向かいますので少々お待ちください(声は平静を装いながらも、内心キレて)」。

 

 私がその利用者の居室に向かうと、そこにはベッドの端に座っている利用者(端坐位といいます)が。

 

 「○○さん、どうしました?」「ああ、あのさティッシュとって」。「(は?と内心思いながらも)ティッシュですね。わかりました」と言って、ティッシュ箱から1枚ティッシュをとってその利用者に手渡しました。

 

「ありがと。もういいよ。おやすみ」。

 

 そのとき、私のなかで何かがプチンと切れた音がしたのですけど、それは気のせいでしょう。「はい。では失礼します」とすたすたと部屋を出ていきました。

 

おわりに

 

 少なくとも、私が働いている事業所ではこれが日常茶飯事です。確かに、利用者の多くは身体的に困難を抱えている方もいます。なので、何らかのケアやサポートは必要でしょう。

 

 しかし、職員のことを「召使い」と思っているのではないかと疑いたくなるような利用者もいます。

 

 どんな業界にも同じような「モンスター」がいるでしょうけど、介護業界の特性としてそういった利用者の横暴に無視できない(というか、しない)という点があります。その理由は様々ですが。

 

 これで賃金が低いという要らないボーナスもついてくるのです。こんな状況で介護職に就こうと思いますかねえ。とくに若い人とか。まあ、自分もその若い人なんですけど笑。

 

 今回はこの辺でおわりにします。それでは。

利用者の好き嫌いで対応を変える感情的な介護職員の話

今週のお題「桜」

はじめに

 

 私は「感情がない」と周囲の方々からよく言われるのですけど、逆に「感情が爆発している人」っているじゃないですか。

 

 私の職場にもそういう方がいます。この記事を読んでいいただいているあなたの職場にもいるかもしれません。

 

 まあ、感情的であることそのものに良し悪しはないんですけど、さすがにその感情の起伏が仕事内容に影響を与えているとなると考えものだなあと思うのです。

 今回は、そんな「感情が爆発している人」が職場で利用者への対応を変えている一つの事例を紹介します。

 

 

誕生日プレゼントに違いをつけるという露骨な対応

 

 今回紹介するその「感情が爆発している人」は、いつも職場で上司への不満やら職場の不満をぐちぐちと話しています。いわゆる「声が大きい人」ですね。その声の大きさは会議などの場でも発揮されます。「私は~~だと思う」と彼女が顔を真っ赤にして演説した意見はそのまま通ってしまうのです。

 

 そんな「声が大きい人」は声が大きいのみならず、利用者への好き嫌いによって対応を変えています。たとえば、会話での言葉づかいに違いがでます。好きな利用者にはやさしく、ゆっくりと、そして笑顔で話しかける一方で、嫌いな利用者には簡素に、そして無表情で話しかけます。まあ、人間なので相性もあるでしょうからそのような対応の違いが出てくるのも多少は理解できるのですけどね。

 

 ただ、最近、「それは露骨すぎないか」と思うことがありました。それはある利用者2名への誕生日プレゼントの作成時のことです。そのうち一人は「声が大きい人」が好きな利用者で、もう一人は嫌いな利用者でした。

 

 もうなんとなく予想がついたと思いますけど、そうこの職員は2つのプレゼントに露骨な違いをつけていたのです。片方は利用者と撮った写真やメッセージ、そしてきれいな装飾をしています。他方は色紙にすこし装飾した程度。

 

 しかもその職員が私に両方のプレゼントをみせて「これでいいと思う?」と尋ねてきたので、私は「どちらも個性があっていいと思いますけど、ちょっと違いがあるのが気になりますかねえ」と多少ポジティブなことを言って返答しました。するとその職員は「そうかなあ。そんな違うかなあ」と真顔で言ったわけです。私はそのあと何も言わずにいました。「もう、何をいってもムダだなあ…」と思って。

 

おわりに

 

 ちなみにその2つの誕生日プレゼントは無事、利用者に届けられました。もちろん、違いをもったまま。

 

 私は基本的に利用者によって態度を変えたりしないように心掛けているのですが、このような方もいるのだなあと新たな発見をすることができました。

 

 ただ、事業所としては対価のあるサービスを提供しているので、自身の感情によって仕事の内容に違いをつけてしまうのはいかがかなあとは思いますけどね。

 

 今回はこのへんで終わりにします。それでは。

介護職でも1年間で100万円貯金することできますよ、という話

はじめに

 

 介護職の賃金は他の業種より低いことで有名です。ただし、賃金が低いからといって貯金がまったくできないか、というとそういうわけではありません。

 

 ちょっとした工夫や生活環境を変化させることで1年間で100万円を貯金することだって可能なのです。

 

 今回は、実際に1年間で100万円以上貯金した私の節約方法を書いてみたいと思います。

 

私が実践した節約術3選

 

1.「無駄」な買い物をしない

 

 そう、まず基本的かつ一番重要な節約術は「無駄な買い物をしない」ということです。

 

 「んなこたぁ、わかってるつうの。どうやって『無駄に買い物をしないようにできるか』を知りたいんだよ」と言う方もいらっしゃると思いますが、まあそうあせらず。 

 

 ところで、「無駄」ってなんでしょう?私にとって「無駄」とは「本を読み、健康で暮らすことができないようなすべてのこと」です。逆に言えば、それ以外のことにはお金をかけているということです。

 

 つまり、自分のなかで大事なことや大切なことを確認し、それにお金を集中的に投資しているのです。

 

 具体的には、自分が欲しいと思った本は1500円以下なら即購入します。他方で、それ以外は極力ケチります。

 

 なので、まず、お金を貯めたいと思ったらすることは「自分は何を大切にしているのか?」を問うことなのではないかなあと思います。

 

 2.休日は自宅で本を読んだり、勉強をする
 

 二つめの節約術は「本を読むことと勉強すること」です。これは非常に個人差が出るところだと思います。外出が好きな人やパートナーがいる方はどうしても外出する機会が多くなりますからね。

 

 私はもともと家にひきこもりがちですし、それに本を読むことや新しい知識を習得するのが好きだったのでこれができたというのがあります。

 

 3.無駄な飲み会に参加しない
 

 最後の節約術は「無駄な飲み会に参加しない」ということです。これも個人差がどうしてもでてしまいますよね。

 

 あと、企業で働き始めるとどうしても人付き合いをしなければならないこともありますから、飲み会への参加費は必要な出費ではあります。

 

 ただし、企業が飲み会代を負担してくれることもあります。私はこういった場合のみ飲み会に参加することにしています。

 

おわりに

 

 以上、私が1年間で100万円以上貯金することができた節約術3選でした。

 

 まあ、こうやって文章にすると改めてほんとに人付き合いしていないなあと思いますね笑。もうちょっとだけ、人付き合いしてもいいかもしれませんねえ。

 

 今回はこれぐらいで終わりにします。それでは。

利用者に「あの人から渡された薬を飲んだら、気分が悪くなった」と言われたある介護職の話

はじめに

 

 介護職として働いていると「この世って本当に理不尽だよな…」と感じざるをえない場面に多く遭遇するわけです。

 

 それは利用者からの暴言のような口撃だったり、物理的な意味での攻撃、はたまた利用者の家族や医療関係者、そして上司からの現場を無視したお願いごとだったり。

 

 この中でも特に頻度が高いと個人的に思っているのが、利用者からの口撃です。

  

 今回は最近私が遭遇した利用者からの口撃をご紹介したいと思います。

 

朝食時の惨劇

 

 その惨劇は音をたてずに突然訪れました。その日は夜勤の明けでした。私を含め職員があくせくと利用者の起床を手伝い、食堂へ誘導をし終え、食堂で利用者の方と朝の挨拶を交わしているときでした。

 

 とある利用者が顔をムスっとさせながら、車いすを移動させながら私の方へやってくるではありませんか。

 

 私は「んっ?なんか様子が変だな…」と内心思いながらも、「〇〇さん、おはようございます」と営業スマイルを顔に浮かべながら挨拶をしたところ、突然その利用者が、「昨日、あんたから渡された薬を飲んだら、気分が悪くなったわ!!!どうしてくれるのよ!!!」とものすごい剣幕で怒鳴ってきたのです。

 

 「はっ?」と私は口に出しそうになったのですが、胸三寸に納めて「どういうことですか?」とこれまた営業スマイルで質問をしたわけです。

 

 その利用者によれば、昨日の夕食後に私がその利用者に服薬介助をした後、気分が悪くなった(気分が悪くなったかどうかは事実かどうかは不明)とのこと。

 

 たしかに、前の夕食後に服薬介助を私がしたのは事実です。しかし、誤薬をしたわけでもなく、しかも薬で何らかの弊害がでたのなら、私にはほぼ問題がないのです(その利用者が私を嫌っていて、服薬介助をされることすら嫌がっているというのなら、ひょっとすると私にも多少の問題があるのかもしれませんが)。

 

 まあ、その利用者はその後も私に対してぐちぐちと何らかの不満を言って5分ぐらい過ぎると、自分の席に戻っていったのでその場は修羅場とかさずに済んだんですけどね。

 

 こういう理不尽なことが介護の現場では日常茶飯事です。逆に言えば、この理不尽さに慣れる必要がありますし、慣れてしまうと精神的にラクっちゃラクなわけです。

 

おわりに

 

 今回は、介護現場における理不尽さの一事例を紹介しました。

 

 誤解してほしくはないのですけど、私はこの記事をとおして介護職のネガティブキャンペーンを誘発しようとしているわけではないのです。

 

 ただ、単純に介護現場の現実を知ってほしいだけなのです。介護に携わったことのない人々に。

 

 まあ、その現実をいくら知ったとしても、何も変化しないかもしれませんけどね。

 

 今回はこのへんで終わりにします。それでは。

「静寂なリンチ」としての事故報告書

はじめに

私が勝手に命名しているだけなのですが、介護業界には「七不思議」があります。そのうちの一つに、「静寂なリンチとしての事故報告書」があります。

 

これは、介護職員に過失がなくとも利用者になにかしらの出来事が発生した場合(たとえば、転倒など)、介護職員が事故報告書というものを、その事故が発生した原因とその対策までを含めて、記入にしなければならないというものです。

 

この「静寂なリンチ」は一見したところ、「なんだよ。利用者が転倒とかしてたらそんなの当たり前だろ。介護士なんだろお前」と思われることもあるかもしれません。つまり、事故報告書の記入は「リンチ」に少しも該当していないのではないかと。

 

しかしですね、この作業って意外と精神的にくるんですよ。実際にやってみると。

 

というわけでこの記事では、事故報告書の記入が「静寂なリンチ」と言える3つの理由を紹介します。

 

「静寂なリンチ」といいうる3つの理由

1.事故の原因と対策を記入させられる

おそらく多くの場合、事故報告書には事故の原因と対策を記入する欄が設けられています。つまり、何らかの事故が発生した場合には、その欄を埋めなければならないわけです。

 

しかしです。利用者の転倒の例で考えてみると、介護職員が1人で数名(もしくは数十名)を一度に見守る必要がある介護現場では、利用者の転倒などふせぐことなどほぼ不可能なのです。それなのに事故の原因を記入させられるわけです。しかも対策まで。

 

たとえばですけど、職場で上司がミスをしたのに、部下である自分にすべての責任を押し付けられたみたいなことですよ。いやじゃありませんか、そんなことされたら。

 

2.利用者の家族に逐一電話をしなければならない(謝罪つきで)

さらにこの事故報告書、記入するだけで終わりではないのです。次に何が待ち構えているかというと、そう、家族への連絡(謝罪つきで)です。

 

職員側に責任がある(たとえば、落薬とか)場合に家族に連絡をするのは当たりまえだとも思うわけです。しかし、利用者が勝手に歩いていて転倒したというのに、職員が「謝罪つき」で家族に報告する必要があるというのはいかがなものでしょうね。

 

まあ、私にかぎった話ですが、多くの家族は利用者が転倒したと報告をすると「まあ、お忙しいのにわざわざ連絡をしてくださりありがとうございます」とおっしゃってくださるので、実際に怒鳴られるということはあまりないんですけれど。

 

ただそれにしても、ものすごく「悪いことをしてしまったなあ…」という罪悪感をおぼえてしまうのですよねえ。

 

3.1、2の理由により事故が発生した原因が全て自分にあると思ってしまう

最後に、事故報告書の記入が「静寂なリンチ」といいうる理由としてあげられるのが上記の1,2の理由により事故が発生した原因が全て自分にあると拡大妄想してしまうということです。

 

私も最初に事故報告書を記入した際に、この拡大妄想をしてしまい、その後のケアでミスを頻発してしまったことを鮮明におぼえています。今では、良いのか悪いのかわかりませんが慣れてしまってそのようなことはほぼほぼなくなってしまったのですが。

 

ちなみに、最近、事故報告書の記入でまさにこの件で同僚に相談されています。私は「他の職員はあなた(相談相手)のことを『あの事故を起こしたやつ』なんて思っていないですよ」とは言ったものの、相談相手は何か奥につっかえたものを残したような顔をしたままでその後の仕事をこなしていました。その相談相手がこのことをきっかけに辞めなければいいなあと切に願うばかりです。

 

おわりに

今回は事故報告書の記入が「静寂なリンチ」といいうる3つの理由を紹介しました。

 

個人的には、事故報告書の記入は次の仕事に悪影響を及ぼす可能性があるので、何らかの報告をする形式は維持するとしても、リンチをされたような後味の悪さを残さないような工夫が必要だと思います。

 

まあ、その具体的な方法はまだ思いついていないんですけどね。

 

今回はここらへんで終わりします。それでは。

 

 

「認知症ガール」ってやっぱり変じゃない?

はじめに


とある日、あまりにも暇すぎてTwitterで時間をつぶしていたところ、「認知症ガールがほにゃらら」という文章がTwitterのタイムラインで流れてきました。

そのTLをよく読むとどうやら「認知症ガール」とは認知症をわずらった高齢の女性のことを指しているらしいのです。

しかし、私はここで「う~ん」と頭をひねってしまったわけです。というのも認知症を患っていない女性に対してガールとあまり言わないのに、認知症に罹患した女性にガールを使うのは変なのではないかと疑問に思ったからです。

そこでこの記事では、「認知症ガール」という名称に無理があると思う2つの理由を紹介します。

認知症ガール」って無理があると思う2つの理由

1.年齢を重ねた方にガールっていうのはバカにしているのでは?


ガール(girl)って日本語に訳すと「少女」って意味ですよね、そもそも。年齢を重ねた方にその言い方は失礼なのではないでしょうか。

想像してみてくださいよ。自分が認知症を患ってしまったとして、自分より年下の若造に「認知症ガール」なんて呼ばれてるの。腹が立ちませんか。

もちろん、年上の方が年下の方に「助教のくせに」といえば、年下の方がイラつくわけですが。

2.別に認知症に対してポジティブな見方をするようにならないのでは?

認知症ガール」と呼称するのは認知症をポジティブに捉えようとする意図があってのことかもしれません。

しかし、いくら認知症にガールを付け加えたとしても、世間の人々は認知症にポジティブな意見を持たないと思います。おそらく、少女が何らかの原因で認知症を患ってしまったのかなあと思うぐらいではないでしょうか。

あと、ガールを使っていいのは「数学ガール」ぐらいではないでしょうか。本当にどうでもいいけど。

というか、介護士をはじめ福祉関係の人はもっと数学を勉強したほうがいいと思いますよ。話が完全にそれましたけど。ケンカを売るようにもなってしまいましたけど。

おわりに

認知症に罹患した高齢の女性のことを「認知症ガール」と呼称するのはおかしいと思う理由を2つ紹介しました。

しかし、逆にマイナスにとらわれる可能性もあるという点には注意をしなければならないと思うのですよねえ。まあ、私がひねくれているだけと言う可能性もありますけど笑。

今回はこんな感じで終わりにします。それでは。



「好かれ上手」のお話

はじめに

 介護事業所で「早く帰りたいなあ…」と思いながら働いている私は、ある日利用者を2つに分類できることに気づきました。

 それは職員に「好かれる人」と「好かれない人」という分類です。

 もちろん、それは一つのものの見方であり分類方法はこれにかぎったことではありません。また、好きかそうでないかで職員はサービスのやり方に違いをつけるわけではありません。

 それは仕事としてやってはいけないことですから。

 しかし、その「好かれる人」は「好かれない人」に比べて職員から話しかけられる回数が多いのです。そのうえ、職員は(無自覚に)「好かれる人」にやさしく接する傾向にあるのです。相対的に。

 自戒を込めて書くのですけど、かくいう私も相対的に「好かれない人」と接しようとしてしまいます。

「好かれ上手」の3つの特徴

 では、その「好かれ上手」な利用者はどのような方なのか。私が考えるかぎりでは、3つ特徴があります。

 

 1.いつも笑顔でいる

 まず第一に、いつも笑顔でいるということです。これは考えると当たり前なんですけど(気難しそうな顔をしていたら接しづらいですもんね)、意外と実際にやってる方って少ないんですよ。肌感覚では。

 逆に言うと、「好かれない人」っていつも不機嫌そうな顔をしているんですよね。もちろん、職員は両者に対して平等に接しようとはしています。念のため。もちろん全職員がそうしているという保証はできないですけど。

 

 2.職員に対して「ありがとう」と言う

 第二に、サービスの提供が始まるときや終わったときに、「ありがとう」って言ってくれることですね。これも当たり前っちゃあ当たり前なんですが、意外とそうしない方もいるんですよ。

 ちなみに、個人的な感覚では、男性はあまり「ありがとう」と言ってくれません。あくまで一事業所で働く一従業員の感覚ですけど。

 

 3.かわいらしさを醸し出す雰囲気がある

 そして最後に、「うわぁ、この人かわいい」と思ってしまうということです。目上の方に対して失礼な言い方なのは百も承知です。しかし、その「かわいらしさ」が体の医たるところから醸し出されている方がいるんですよ、これが。

わりに

 いままで「好かれる人」の特徴を書いてきたわけですけど、その途中「はっっ!」と気づいたことがありました。

 それは私自身が「好かれる人」の特徴をあまりもっていないということです。唯一もっているのは「ありがとう」と言うことだけ…(しかも、不愛想に)

 なんか自分の性格の反省すべき点をまざまざと見せつけられた気分です。

 気分が悪くなってきたので、この辺で終わりにします。

 それでは。